御巣鷹の尾根から高天原山、U字溝へ

今から39年前の1985年8月12日18時56分、乗客乗員524人を乗せた日航123便が消息を絶った。
速報はすぐに入ったが、その後は誤報や未確認情報が錯綜してシッチャカメッチャカ、
翌朝になってようやく墜落が確認され、現場の特定に至った。
そんな当時の状況は今でもハッキリ覚えている。

あの頃の日本はまだイケイケドンドンの時代、日頃は働き蜂の企業戦士たちも、
ようやく盆休みを迎えようとしていた矢先のことだったと思う。
当時そんな中のひとりだった自分も他人事とは思えず、
折を見て情報を収集しつつ、いつか現地を訪れてみたいと思っていたが、
機会を逸して延び延びになっていた。
しかし、このままでは行かずじまいになるぞと一念発起、
哀悼の意を表してこようと訪問することにした。


群馬、長野、埼玉の県境近くの群馬側山奥という辺鄙なところとあって、
神奈川県からのアプローチはかなり大回りをしいられる。
圏央道、関越自動車道とつないで本庄児玉ICから国道462号を西進、
神流川(カンナガワ)沿いの 県道124号 を走って村道に入り、ようやく駐車場に着いた。
さすがに遠かったが、整備された道路だったのでストレスなく走れ助かった。

高速の深夜割引をつかってきたので、朝は早くまだひっそりしている。
標高はすでに1359m、丹沢なら円山木ノ頭ぐらいだなと思いながら出発、
遺族の高齢化も進んでいるのだろう、杖やビニール傘まで用意されていて、
入山者数カウンターや熊よけに鳴らす鐘もあった。

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各地で猛威をふるった令和元年台風の被害は、ここでも大きかったようで、
墓標や歩道も被災したと聞いていたが、復旧も進みよく整備されていた。

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4/524の生存者、4名がみつかったスゲノ沢の現場へ続く横路。
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尾根の激突により四つになった胴体後部が木々をなぎ倒し滑落した斜面。
なぎ倒した折れ株が残り、樹齢の若い木ばかりなのが当時の凄惨さを物語っている。

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墜落斜面に切られた道を折り返しながら登って行くと上空が開け、
急造の仮設ヘリポートがあった墜落現場の広場に着いた。
ここには慰霊の「昇魂之碑」が建立されている。

謹んで哀悼の意を表し黙祷・・・
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ここから南東に振り返ると、谷向こうの尾根上の樹林にV字の切れ込みが見える。
最後の激突の数秒前、失速した機体が右翼を下にして、
ほぼ真横になって尾根をかすめたところだ。
立木をなぎ倒し山肌をえぐった痕跡がU字形に残るため「U字溝」と呼ばれている。

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昇魂之碑のさらに奥には、持ち主不明の遺品の埋設場所と祭壇があり、
祭壇には遭難者のスナップ写真や愛用品などが祀られていた。

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近くには引きちぎられたような大木の株、焼け焦げた痕がはっきりと残っている。
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尾根筋を登り始めると、少し離れた目立たぬところに墓標が三つ並んでいた。
惹かれるように近づいてみると中の一つに戒名ではあまり見ない文字があった。
ピンときたので俗名を確認してみるとやはり…
操縦不能になりながら最後まで死力を尽くしたコックピットクルー3人、
高濱機長、佐々木副操縦士、福田航空機関士のものだった、合掌。

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さて、せっかく遠くまで来たのでこのまま帰ってはもったいない。
少し追悼の登山をしてから帰ろうと思い、そのまま尾根筋を登り続け、
群馬長野の県境に立ったら稜線を南進、高天原山を回ってU字溝に立ち寄って戻ろうと思う。

ここからは自然度の高いバリエーションルート、白樺の中をもくもくと登っていく。
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カラマツ林の穏やかな県境に着いた。
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これから向かう高天原山方面をみる。
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高天原山の1978.8m二等三角点。
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南の長野県側に見えるのは、最後の目撃情報があった梓山の集落あたりだろうか。
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東へ向かう稜線伝いは、なだらかでホッとする。
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高天原山東方1870m付近、U字溝への下降地点。
南東に下る三国山方面は比較的歩きやすそうだが、北東に下る尾根を覗くとまるで崖のよう…
一瞬、躊躇したがよく見るとルートあり、ワクドキ感が勝って下降開始。

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下ってみれば大好物の尾根、
個人的には好まないがピンクテープの案内まであり、迷うことはない。

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1610m付近まで降りてきたところで、堀割のような窪みが尾根を横切る「U字溝」に着いた。
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右翼をかすめ、えぐられた痕跡は確認できるのだが、思ったほど見通しはよくない。
「昇魂之碑」側からはU字溝の切れ間が見えていたので、
こちらからも見えるだろうと思っていたが、肉眼でうっすら認識できる程度、
安物のカメラでは写らなかった。

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尾根の接触したあたりにケルンがあった。
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よく見ると、積まれた石の合間にグチャグチャになった機体の破片がある。
周辺で見つけ拾った人がここに置いていったのだろう。

5年ぐらい前のニュースだったと思うが、台風被害の復旧作業中に、
土中から酸素マスクが見つかったという報道を見た記憶がある。
奥深い山中ゆえ、容易に踏み入れない箇所も多く、
探せば当時回収しきれなかった遺留品が、みつかるのではないかと思っている。

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尾根筋を外れ、U字溝に沿った斜面を下降開始、写真ではゆるそうに見えるがかなりの急勾配だ。
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下降途中の斜面に落ちていたバケツとワイヤーロープ。
バケツは機内のお掃除用か? なわけないよな、ワイヤーロープは林業用かな?
でも周辺は自然林で植林はないしヘンだな…
なんてブツブツ独り言をつぶやきながら急斜面下っていくと沢が見えてきた。

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沢筋を少し下れば、朝歩いた昇魂之碑への道にぶつかる、ここまで来れば駐車場は目の前である。
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一般には後部圧力隔壁の修理ミスが原因とされてはいるが、
さまざまな憶測や異説が飛び交っていることも承知している。
何となく、きな臭い事故のため自分なりに関連するTV番組や書籍、
YouTubeなどの動画も見て個人の見解は持っているが、
ここで述べても所詮素人の戯言、口出しするつもりはない。
ただ、今回現地を巡って現場の状況や位置関係をみるにつけ、
今まで地図上で解釈していたことが違っていたり、
逆に納得できたりと、気づくことが多かった。
やはり机上だけで考えてもダメ、深掘りしたかったら現地を訪れるのが一番と、
あらためて思わされた訪問だった。

520名の尊い命が一瞬でなくなった悲惨な事故、
無念の事故に遭われた方々のご冥福をお祈りし、終わります。

2024.10.31(木)
駐車場[7:15]…スゲノ沢[7:35]…昇魂之碑[7:45/8:00]…群馬.長野県境稜線[9:25]…高天原山(タカマガハラヤマ)[10:30]…U字溝下降点[11:00/11:25]…U字溝[12:05/12:15]…スゲノ沢(左俣)[12:45]…駐車場[13:00]

《今回のルート図》

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