難攻不落といわれた小田原城の総構(そうがまえ)
500年以上たった今でも随所に遺構の名残があり、昔の様子を思い起こさせてくれる。
そんな当時の面影をたどりながら、なるべく忠実に総構を廻ってみようと思う。
※小田原市HPより転載

車を城山公園に置き、まずは小田原城を見学することにした。
城内は平日の午前中ということもあり、観光客は少な目だが聞こえてくるのは中国語ばかり…
も~い~くつ寝~ると、お春節♪ ってコト~
お堀越しにみる二の丸平櫓と天守。
城址公園の建造物ほとんどが復元されたものだが、こういう眺め日本人には癒やされる。

住吉橋を渡った先はいわゆる桝形、正面に天守が見えても真っ直ぐには行けず、
敵をあざむく防御の仕組みが興味深い。

門扉に銅板が補強された堅固な銅門(あかがねもん)

銅門の頭上にあるこの隙間、侵入者を撃退する石落とし。落石注意!

本丸に続く常盤木門(ときわぎもん)

現在の天守は昭和35年に復元された
入城料を払ってまで見る気になれず外から見るだけ、ちなみに城内を散策するだけならタダ。

城外に出て、青橋を渡ったJR線を隔てた西側の丘陵台地が 旧来の小田原城があったとされる
八幡山古郭(はちまんやま こかく)
今の天守と同じ高さなので見晴らしもよい。

小田原高校の敷地の隅に、三味線堀との案内があったが、それがどこを指しているのか分からず。
それより、そばにあったクスノキがご立派。
樹齢はおよそ500年ぐらいと読んだが、小田原北条氏から続く歴史をみていそう。

小田原城を見学したので、いったん車に戻り、あらためて当時の面影が色濃く残る、
小峯御鐘ノ台大堀切東堀(こみねおかねのだい おおほりきり ひがしぼり)から
左回りに総構を廻ってみることにした。


総構の最西端に突き出た豊臣方の陣を望んでいたとされる水之尾口櫓台(みずのおぐち やぐらだい)
北の方角は大きく開け遠くに丹沢の山並みが見える。

西側の早川の向こうが石垣山一夜城のあった笠懸山(かさがけやま)

鉄砲矢場(てっぽうやば)の案内標柱、これを読んでもここが何だったのかよく分からず、
ごめんなさい。

早川口遺構(はやかわぐち いこう)
国道一号から少し入った住宅地の一角、二重戸張(とばり)の土塁がしっかり残っている。

江戸口見附(えどぐちみつけ)
小田原北条氏の時代からずれるが、 江戸時代に門と番所があり江戸側からの通行を監視したところ。

蓮上院土塁(れんじょういん どるい)
蓮上院から新玉(あらたま)小学校にかけて残っている土塁だが、
一部、大きくえぐれている箇所は、終戦まぎわの小田原空襲で爆撃され損壊した痕。
金網右側の道はコンクリートで蓋された暗渠、おそらく水堀だったと思われる。

城下張出(しろした はりだし)
総構の北側に張り出した平場、現在は住宅地になっている。

この先、峰状の高台なので小田原城がよく見える。

山ノ神堀切(やまのかみ ほりきり)箱根の山を望むミカン畑に囲まれた総構の空堀が望める。
近くの稲荷森の遺構でも、竹林に覆われた空堀の様子が観察できる。

最後は、小峯御鐘ノ台大堀切西堀(こみねおかねのだい おおほりきり にしぼり)

車を置いてきた城山公園に戻って総構の周回完了。
案内を読んだり、写真を撮ったりしながらゆっくり廻って2時間40分あまりの周回だった。
写真では伝わりづらいので、もっと丁寧なキャプションを付けたいところだが、
専門知識もなく、いい加減なことも書けないので簡潔に済ませてしまった。
興味のある方はぜひ、自分の足で歩いてみてください。
どうでもいい話だけど、ちょうど栄町付近を歩いていたとき、腹がへったので「味の大西」で
ラーメンくっていこうと思ったら本日休業だってさ…
休みが不定期な店なのでしょうがないけど、すでに頭の中は小田原ラーメンの濃い醤油味一択、
諦めきれず、帰り掛けに鴨宮の「いしとみ」に寄ってワンタン麺かっくらい帰路についた。
これにて、🍜一件落着!

2025.01.14(火)
城山公園[9:30]…①小田原城[9:45]…②八幡山古郭•曲輪[10:30]…③三味線堀[10:50]…駐車地に戻って総構散策開始[11:00]…④小峯御鐘ノ台大堀切東堀…⑤水之尾口櫓台[11:18]…⑥香林寺山西…⑦三の丸新土塁 [11:35]…⑧鉄砲矢場[11:38]…⑨早川口遺構[11:52]…⑩江戸口見附[12:30]…⑪蓮上院土塁[12:35]…⑫城下張出[13:10]…⑬山ノ神堀切 [13:20]…⑭稲荷森 [13:27]…⑮小峯御鐘ノ台大堀切西堀 [13:33]…城山公園[13:40]
《今回のルート図》
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