1192年、征夷大将軍となった頼朝はその翌年、多くの後家人を従え権力誇示と軍事演習のため富士の裾野で大規模な巻狩りを行った。その帰り道、山伏峠を越えて道志に入った頼朝が武芸の鍛練に時間を費やし、道志の各地に様々な逸話を残し伝承となったようである。
道志川に沿って細長く延びる道志村、きょうはその一番南西の集落、長又に残る頼朝伝説を探ってみようと思う。
道志みちを山伏峠方面に向かい「とやの沢オートキャンプ場」の案内看板をめやすに左折したら道志川を渡って右手に進んでいく。

鳥屋沢(とやのさわ)に沿った右岸の道を100mほど行くと鳥屋沢を跨ぐ小さな橋があり、渡った先が尾根の突端で矢頭山(やのうさん)の取付きになる。

矢頭山までは枕木状の角材が敷設されていて登りやすいが、見た目よりきつく、途中にいくつか息つくベンチが設けられていた。

矢頭山は山といっても独立峰ではなく尾根の途中の小さな凸部、下から見ると山形に見える標高940mあたりのことで、ここに登った頼朝が弓を引き絞り、放った矢がはるか一里先の神池( かんじ)まで飛んで見事標的を射ぬいたという言い伝えが残っている。(神池は今、道の駅があるあたり)
ここが山頂とされるところで、大木横の岩場を回り込んだところに山ノ神の石祠があり、矢を放った長又の方角が見下ろせる。

実は10年前、甲相国境尾根の1306mピークから尾根を下って矢頭山に来たことがあるのだが、そのときは祠に気が付かず素通りしてしまった。

次に訪れたのは鳥屋沢にある「兜岩」と「試し切り石」
一度戻って鳥屋沢沿いを行くのが簡単なのだが、なるべく一筆書で歩きたいので尾根伝いを回り込んで行ってみると、途中、尾根の真ん中にドンと構えたヌシのようなアカマツの古木があった。もしかして頼朝と同級生?と思えるほどの古木で、もしかして幼木の頃に頼朝と出会ったかもなんて考えてしまうが、残念ながら頼朝との関連はなさそうである。

一応、尾根伝いは遊歩道ということになっているのでたどっていくと、とやの沢オートキャンプ場を抜けた先で沢沿いに降りてきた。沢を横切り右岸の植林に入ると林道脇に頼朝がカブトを置いて休んだといわれる兜岩があった。

兜岩からもう少し上流側に行ったところに、真っ二つに割れた「試し切り石」がある。
横は4m弱、高さは1mほどの苔むした石英閃緑岩で、頼朝が研ぎ澄ました名刀を試し切りした岩といわれている。

長又に残る三つの頼朝伝説は訪れた。鳥屋沢を引き返すのが一番早いが軌跡が重ならないよう、わざわざ鳥屋沢の右岸尾根に上がって戻ってきた。林業専用の林道があり、なかなかよい尾根だった。

まだまだ時間は早い。せっかくなので、もうひとつ残る頼朝の豪弓伝説「的様(まとさま)」に寄っていくことにした。しかし、ここから歩いていくにはさすがに遠い。不本意ではあるが車で移動して室久保川上流の的様を訪れた。
戸渡の櫓沢(村役場の西方)に櫓を建て、一里あまり先の標的に向かって矢を放ったところ見事に命中、倒れた的が川底に残ったといわれている。

とくに伝承はないが、すぐ下流を流れる的様の滝

道志村には、まだまだ頼朝にまつわる伝承や場所が点在しているが一度に周回するのはなかなか難しい。折をみて一筆書ルートを考え、訪れてみようと思う。
2025.01.21(火)
矢頭山(やのうさん)登り口[7:50]…山頂の祠[8:05]…アカマツの古木[8:25]…鳥屋沢(とやのさわ)[8:43]…兜岩[8:46]…試し切り石[8:55]…鳥屋沢右岸尾根[9:20]…矢頭山登り口[9:37]ーーー
的様(まとさま)
《今回のルート図》
※参考資料:村史「道志七里」・道志村観光協会発行リーフレット
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